ピアノが好きすぎるブログ

毎週土曜日に更新しています。

つい見てしまう中毒性のあるYoutube動画について考察する。

ゆう@天音理心流©️です。

いかがお過ごしでしょうか?

ついに今年も後半に入りました。訳がわからないくらいのスピードですね。

コロナが普通のことになってしまい、感染者が出ても学校や会社がオンラインにならなくなったのが大きいかな。(タイの場合)

実は義理の弟もコロナに感染したのですが、特に「大変だ~感」がないんですよね。

 

ピアノはやはり「お家でやる趣味」だった

 

2021年後半くらいから、一瞬、ピアノのユーチューブチャンネルを復活させることが出来たのですが、また休止状態に追い込まれています。

 

外出する頻度と、ピアノの捗り具合が、きれいに反比例するのです。

コロナ自粛とピアノは相性が抜群によかった。

なんせ外に出てはいけないのだから!

お家にいる。ふと目を上げるとそこにピアノがある。

もともと音楽が好きだから家にピアノがあるわけだし、そりゃ自然に弾いちゃうよね。

そういうことです。ピアノは「お家でやる趣味」だったってことですね。(結論)

 

そこで更新休止してる「ユーチューブをどうしよう問題」が自分の気持ちの中で、また大きくなってきたのです。

 

基本に返って、そもそも自分はどんな動画が見たいのだろうか?と己に問いかけてみました。

 

タモリさんは分かっていた

 

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「笑っていいとも」が31年半続いたのは、タモリさんが「面白くする努力をあえてしなかった」「必死になってがんばらなかった」というのがよかったのだ、という意見がありますが、なるほどなー、と思います。

 

何というか、お昼にテレビを見れば「いいとも」がやってる、という安心感みたいなもの。それが当時の社会にはあったような気がします。(当時はまだ日本にいた)

あんな毎日やってる番組を毎回全力で面白くしようとしたら、続くはずがないですね…。

 

それで、話をユーチューブに戻しますと、ユーチューブも続けないと意味がないので、そうしようと思ったら「やたら努力を必要とするようなこと」はやってはいけないよね、という結論に行き着いてしまうのです。

ユーチューブに限ったことではない。「仕事」とか「結婚生活」も同じこと。それが充実しているかどうかは横に置いておいて「続けること」だけに限っていえば、「がんばらずにダラダラやる」のが最善、ということになるのです。

 

そもそも人は動画を「見ていない」

 

ブログ主の場合なんですけど、

①寝る前のうたたねタイム

②車の運転中や電車の中(移動中)

③食事中。(特にひとりで食事してる場合)

 

にユーチューブをつけてることが多い。

つまり、ロクに動画なんか見ていないのです。

リラックス、暇つぶし、さみしさをまぎらわせたい。

そんなモノを求めているんだと思う。


真面目に動画を「見る」のは、ネットフリックスみたいな「映画」です。そもそも視聴目的が違う。

 

Youtubeは暇つぶしなんだから、扱ってる内容も、毒にも薬にもならないような、しょうもない雑談の方が心に優しい。やたら内容が難しかったり、シリアスなのはNG。見ていて疲れる。そう感じる人が多いのではないだろうか?

 

そう考えると、ユーチューブは現代の「笑っていいとも」みたいなものかもしれない。

そう思いませんか?

 

「雑談ライブ」を「継続する」のが究極の動画スタイルか?

ここで「雑談ライブ」の可能性を考えてみます。

「笑っていいとも」が国民の多くが昼休みを取っているであろう12時に「継続して」配信したのと同じように、ユーチューブも毎日時間を決めて配信するっていうのはありでしょう。(現実的にはたいへんですけど)

 

その時間っていうのも、通勤時間帯、お昼、寝る前、くらいの人がついついユーチューブを見ちゃう時間に配信した方がいい気がします。

 

それと、内容についてです。

 

「笑っていいとも」の場合、見事なまでのテンプレ化が行われていたことに気づきます。

①いいとも青年隊の歌とダンスに乗せてタモリさん登場。

②客いじり。「いい天気だね」「そうですね」みたいなやつ。

③テレフォンショッキングでゲストとタモリさんのトーク。

④ゲストの友だち紹介、翌日のゲストに電話。

(この辺でCMが入り、視聴者はほとんど離脱する)

⑤企画みたいな日替わりコーナー。(タモリさんは聞き役)

 

だいたいこのような構成になっているのです。

 

テンプレ化すると、視聴者は安心して見てられるし、いちいち状況を追わなくても、今どうなっているかわかるわけです。

 

そこで、ユーチューブも「テンプレ化」することを考えます。

まずはデザインのテンプレ化です。サムネがいつものデザイン、いつものBGM、いつもの字幕テロップが流れてる。そんな感じ。

 

次に内容のテンプレ化、なんですけど、

わたしがやりたいのはこんな配信。

 

①画角レイアウト

ピアノ楽譜(PDFファイル)を画面共有で見せて、WEBカメラ自撮りとの2分割レイアウトにする。

②配信タイトル

【ピアノ練習】Disneyファンティリュージョン (1日目)【ほぼ雑談】

③説明らん

ゆうの雑談寄りピアノ練習枠です。

今週はDisneyファンティリューションを練習します。今日は1日目だからほとんど譜読みになりそうです。

◆ゆうのinstagram https://www.instagram.com/yu_free_spirited/

④配信ツール

配信ソフト: OBS StudioまたはStream Yard

ツール:PC 、USBマイク、WEBカメラ

⑤配信時間帯

夜22時から23時くらい。

⑥配信内容

雑談しながらピアノの練習をする。

コメント来たら対応する。

⑦小道具(画面表示)

下に横移動字幕テロップ。

「Disneyファンティリュージョンを練習しています」

固定テロップ

「飲み物:ライムソーダ 

 次回配信:7月○日22:00-23:00」

⑧BGM

 iPhoneで物理的に流す。(ピアノ弾かないときに)

 

以上が、ざっくり考えているユーチューブ復活案です。

 

中毒性のある配信者って?(仮説)

 

最後に、ブログ主の考える「中毒性のある配信者」について語って、今日の記事を終えようと思います。

【仮説①】

そもそも、ネットで顔を晒してパフォーマンスしてる時点で、ちょっとアタマが狂ってないと出来ない所業なのです。

「あー、この人、狂ってるなー」という感じを視聴者に抱かせるタイプの人。これが中毒性を生んでいると感じます。

 

そして、あなたもわたしも羞恥心を持った普通の人じゃないですか。

普通の人が配信をやるなら、いわゆるペルソナを作るしかないです。

わたしだったら「ゆう」という配信用キャラが自分の中にいて、それは実人生で生きている「戸籍上の本名のわたし」ではないよ、という多重人格的な感覚に持って行くという感覚かな。

この感覚は、宗教の悟りの境地の近くにある気もします。

仏教では「諸法無我」と教えていますように突き詰めて行くと「我」というものは無いのです。

わたしも、あなたも、この世の全ては、神の戯れなのですね。物質のみならず、心でさえも、生成消滅をする。「自分」と考えている頑なな思い込みや殻を破る、ということですね。(わたしはお坊さんではないので、かってに解釈しているのですけど)

 

【仮説②】

ありのままの姿を見せている素直さ、かな。



ディズニー風に言うと「レリゴー」な状態ですね。

自分を世界に対してオープンにしないと、そもそも配信なんてできないっていうこともあります。(その自分っていうのは先に述べたように「ない」のが、ダンマの世界がぶっ飛んでいるところですけど)

実世界で人に会っても、どうでもいい天気の話しかしない人になりたくない。あなたがそう思っているなら、配信に向いていると思います。

それは、世界(現実の世界、というより、アストラル界を含んだ広い意味での存在、といった感じ)に対して、究極の信頼感がないと出来ないことです。

すごく卑近な感じで言うと、

これを言ったら相手が怒るかもしれない。怒った結果、不都合なことになることもあるだろう。しかし結局、全ては神の戯れなんだから、どうなってもオーケーなのさ。

「レリゴー状態」を言語化すると、こういう感じでしょうか。ジョンレノンの歌に「真夜中をぶっ飛ばせ」というのがありますが、ああいう感じね。「イッツオーライ」

 

ここで気後れする人間が、日本人の場合、推定95%以上ですので、

普通のメンタルをしている人は、心が病んでしまい、配信が続かないんですよね。

 

わたしが好きなユーチューバーで言うと、失敗小僧さんとか、ブッダかずひささんをよく見ていますが、彼らのように配信や投稿が続く人って、イカれていて、レリゴーだと思うのです。

 

で、そのためには「諸法無我」というダンマ(法)のことばを胸に、配信者用のペルソナを構築すること。信頼感を持つこと。そんなところかな、と思うのです。

 

なんか変な記事になってしまいましたが

最後までお読みいただきましてありがどうございました。

 

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