ゆう@天音理心流 です。
特に書くことがないので、耳コピについて。です。
耳コピしか勝たん
音楽を学ぶのは耳コピだけやっていれば基本的にはOKなのですが、
これはなぜか?
まずそこからです。
たとえば、あなたが何かビジネス、たとえば…占い師をする、としましょう。
占い師でビジネスをしたい、と思ったとします。
(いきなりエッジの効いた例えですが…(⌒-⌒; )
すると、まず始めに何から手をつければいいでしょうか。
え?タロット占いを勉強する?
まあ、それは当たり前じゃ(笑)
実は、ビジネスとして考えると、
「すでに占い師さんとして成功してる人」を見つけることです。
それから、
「占いにお申し込みをして、実際にその占い師さんに鑑定してもらうこと」
ですね。
なぜなら、集客、クロージング、サービス提供。
すべてのお手本が見れるから。
その人と同じことすれば、ある程度成功しますでしょ?
これがピアノになると、どうなるか。
「自分もこんな演奏をしたいなーと思うようなピアニストを見つける」
ということが第一歩です。
だから、
「ジャズの勉強をしたいんですよね。」
「おすすめの教則本を教えてください」
こういうのは、まあ、いいんですけど、ちょっとズレてるのかもしれません。
変なプライドが邪魔をして、
「人の真似はしねーよ、オレはピアノで自分の世界を表現したいのさ」
とニヒルな笑いを浮かべる人は、
カッコいいんですけどね、、、
残念!たぶん、ピアノはダメなままでしょうね笑笑
でも、アーティストとして、独自な世界を表現する可能性はありそうですね。
偉大なピアニストを宗教の教祖みたいに崇拝するのとは違います。
こうやったらいいピアノがひけるんだ、という
「ピアノ演奏のデータ?だけ」をいただけばそれでOKです。
たとえば、わたしは健康な心身が大切だという価値観を持っています。
ビルエヴァンスのような演奏をしたいけど、
彼のような薬物依存にはなりたくないんですね。
つまり「ピアノだけ真似すればOK」です。
「データだけ」いただいちゃいましょう。
データといっしょにその弾いてる人の精神状態までも乗り移ったように感じる瞬間はありますけど。
でも、なんで耳コピでしか音楽が学べないのでしょうか?
音楽というのは、能のような伝統芸能の一種だと思います。
能は、師匠の身振り手振り?を真似をして技術を覚えるのですよね?
ピアノもきっとそういう性質なものなのです。
フレーズの歌い回し、コードに対しての音の選び方、リズム。
そういうのは、実際に師匠のプレイを聴くことからしか学べないですな…
わたしはこの考えをするようになって、
世の中は学びの素材に満ちていることに気づきました。
外の世界をあるくのは、
まるで、ポケットにいくらかのお金を持って、
賑やかなフリマを歩いてるようなウキウキした感覚です。
「長い演奏を楽譜なしでノーミスで」弾ける耳コピ達人の謎
最近、わたしは1分以上の演奏をわりとノーミス一発撮りできることが増えてきました。
楽譜は見ないで、ですよ。
(耳コピしたものはなるべく採譜しています)
それで、わかってきたのです。
どうしてピアノの達人の中には、楽譜を見ないでひたすら長時間プレイが可能なばけものがいるのか、その秘密を。
それは最近、かんたんな曲と、鬼のような曲を2つ同時期に聴いて、そのコントラストをヒントに気づいたこと、なので、そのことを書かせていただきます。
今週はこんな体験をしました。
耳コピの題材として
ビルエバンス(タバコやめろよ)の「Walts For Debby」。
アニメ「ピアノの森」のアジノ先生とカイ君の思い出の曲
「茶色の小瓶(Brown Little Jug)」。
この2曲をハヤえもん(耳コピ用のアプリ)に入れてよく聞いていました。
すると、一応、楽譜のちゃんとある(と思われる)「Brown Little Jug」の方は、耳コピしましたけど(細かい部分は耳が悪くてわかりませんが)メロディなんか、もう聴いてそのまま弾けちゃうようなイージーな感じなのですね。
ミソソー、ファララー、シシラシドドドー、だよな。明らかに!
さすがアジノ先生だ!
かんたんな曲を授業で使って、生徒さんたちに音楽に親しみを持ってもらう狙いだな!みたいな。(ピアノの森、は、「子犬のワルツが弾けないんだ」と悩むカイ君にアジノ先生がスケール練習をしろとアドバイスするなど、なかなかピアノ練習を考える上で学びのある作品です)
で、「茶色の小瓶」のあと「Walts For Debby」を聴いたら。。。
すごいことになってます。
情報量が違うんですね。
Scott LaFaroのベースは粒立ちのいい聴きやすい音色だったので、サウンド的にはコピーしやすい。
ビルのコードワークは浮遊感のある音選びで、ちょっとコピーは難しいなぁ。
そういう個別の感想はあるんですけど、まあ、音楽的に生じている内容がすごいなあ…このまま完コピは絶対無理!
と思わせる情報量なのです。
単に音符の密度、だけの問題でもないようです。
クラシック曲で、指が回らないと弾けないような曲ってあるでしょ?
たとえばカイ君が弾けなくて悩んだショパンの「子犬のワルツ」みたいな曲。
(ジャズピアノだとオスカーピーターソンのソロがそれ系ですよね)
けど、そういう曲のトランスクライブを、シンセシア動画で探して聴くと、
たしかに(すげーな)とは思うんです。
けど、情報量みたいなものが、それほどないんですね。
つまり、情報量の正体は、音の密度、音符の数、だけではないのでしょうね。
「子犬のワルツ」も、シンセシアのMIDI演奏ではなく、プロのクラシックピアニストが弾くと、「音楽的な」情報量が圧倒的に増えるんだろうなあ、、、と思いました。
それで、何回も聴いていると、聴けば聴くほどに、頭の中に記憶として定着してしまって、かってに脳内で音が流れ出すんですね。
あなたも、好きなアーティスト(わたしはオフコースが大好きです)の曲とか、数百回聴いた曲があると思うのですが、それって正確に細部まで脳内で再生できるのではないですか?
フォトグラッフィクメモリーという、見たものを写真に撮ったように覚える人がいるように、その聴覚版ですね。聴いた曲を正確に脳内で再生できる能力。
これはすごい便利でもあり、ちょっと困ることでもあります。
というのは、
寝る前に瞑想を20分しているのですけど、
目を閉じて呼吸に意識を集中しようとすると、、、
さっき聴いた「茶色の小瓶」が頭の中で流れてくるのです。
録音のリバーブのかかり具合まで感じられるリアリティで。
いや、、、瞑想にならないんですけど。(笑)
呼吸に意識を集中しなきゃ、なんですけど(笑)
わたしは、子供の時から、音楽を聴いたり演奏をしたりしていると、
「ゆう!ゆう!」と誰かから呼ばれる幻聴がしたり、
鳴ってもいない携帯の音が聴こえたり、
そういう聴覚異常が発生したのです。
ややオカルトっぽいですが、
中学生のころ、実家が建て替えのため、引っ越ししたのですが、そこに霊がいたみたいで、謎の外国語(昔の日本語?)を話す幽霊の声まで聴こえてくるありさまで、、、。
(霊感には、見える、タイプの他に、聴こえる、感覚的に幽霊がいるのがわかる、というタイプもいて、わたしは後者だったようです)
大いに話が脱線したのですが、
1時間、ずっと楽譜を見ないで何か弾いちゃうピアノ芸人っていうのは、
まず間違いない。
頭の中で、1時間分の「脳内ユーチューブ」みたいなものを再生しているんですよ。
だから弾ける。
そして、「頭の中のその音が、どの鍵盤を押せば出てくるか、わかっている」
このレベルですね!
そこがたいへんなのですけど。
こうなれば、ハッキリ言って、人間ジュークボックスです。
で、「茶色の小瓶」みたいなわりと素直な音しか使ってない曲、だったら
「脳内の曲をすぐに弾けちゃう現象」が発生するのです。
ワルツフォーデビーみたいな難しい曲だったらちょっと簡単にはいかないでしょうね。
正確無比な相対音感(または絶対音感)が必要です。
もちろん、鍵盤を押すメカニカル、というのかな?肉体的、フィジカルな、指の操作能力みたいなものも必要なので、すぐに見事な演奏が出来るかというとそうでもないんですけど(出来たら天才ですね)
でも、そういう人は、頭の中にはもう弾きたい音のイメージがあって、ああ、指が不器用すぎる、弾けん!みたいな状態になっているはずです。
例としては…
ピアノの森、のカイ君。
彼は楽譜も読めずにピアノを弾いてました。友だちの雨宮君に楽譜の読み方を教わった。
あのタイプ、です。意外と現実にはたくさんいるような気がする。
これが、ゆうが耳コピした「茶色の小瓶」です。
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「ワルツフォーデビー」は手ごわいので、たぶん貼ることは当面の間ないでしょう。
では、最後までお読みいただきましてありがとうございました。